北海道南西沖地震について

北海道南西沖地震について

1993年7月12日、22時17分にマグニチュード7.8の大地震と津波の被害を出した北海道南西沖地震が発生しました。
震源地に近い奥尻島を中心に、死者202人、行方不明者28人、さらに北海道の近隣国でもあるロシアでも3名の行方不明者を出している、当時としては大規模の被害を出した大震災でした。

そしてこれまでの大震災と異なり北海道南西沖地震は地震発生後から津波が発生し、報道においても地震発生直後から北海道の沿岸部中心に大津波警報を発令したのです。
地震発生からたった5分で大津波が奥尻島を襲撃し、高台へ逃げる住民やまだ津波は来ないと予測し避難の準備をしていた住民が津波の被害にこうむり多くの死亡者を出したのです。
この死亡者数は奥尻島の人口の約4%と言われるくらいの人数に値します。

地震発生から5分での津波

奥尻島は1983年にも一度日本海中部地震によって津波の被害を受けておりました。
当時は地震発生から17分で津波が到達し、住民の多くはまだ時間に余裕があると感じたせいか来るまでの避難など時間を要したせいで津波にもまれることになりました。

誰もが地震発生からたった5分で大津波が押し寄せることは想定できなかったのです。
大津波の影響で死亡者だけではなく、住宅や民宿などの建物が全壊する事態にも陥り、さらに追い打ちをかけるかのように火災も発生しました。

津波と火災

津波襲来直後に火災が発生したのです。
それだけではなく火事の最中に強い風にあおられた影響で瞬く間に火の海になり消火活動が困難化し、結果11時間後に火を抑えることができました。

その結果、この火事により192棟の家屋が焼失しましたが、幸いにも火事による死傷者は発生しませんでした。
地震の揺れによる被害も出ており、地震発生直後に奥尻島の東部においてがけ崩れが発生し崖の下にあったホテルや食堂が倒壊し、28名が死亡したのです。

これだけの大きな被害を生み出した北海道南西沖地震は奥尻島に大きな爪痕を残しましたが、全国から集まった膨大すぎる義捐金のおかげで奥尻島を復旧させることができました。
そして津波から守るための防波堤を作るなど大規模な津波対策をした結果、この奥尻島は津波対策のパイオニアとして世界中から注目を浴びるようになりました。

大地震と津波の被害を受けても、奥尻島は立派に復旧を遂げ、あのような悲惨な大津波が襲ってきたとしても北海道南西沖地震の様な被害を生むことは少ないだろうと言われているくらいです。

GRman7uk

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