福井地震について

福井地震について

戦後間もない1948年6月28日、16時13分にマグニチュード7.1の福井市を中心に福井地震が発生しました。
第二次世界大戦が終了し、ようやく復興へ一歩ずつ踏み出してきたところにこのような大地震が発生し被害も数多く出ました。
その被害レベルは阪神大震災・東日本大震災に次ぐ戦後3番目の大規模震災です。

戦後復旧時に襲われた地震

死亡者は3769人、負傷者が22203人という当時からすれば近年まれに見ない被害の大きさでした。
この大震災の被害は、福井県の戦後復興を打撃しており、丸岡城・北陸本線細呂駅及び金津駅、北陸本線福井駅と森田駅を結ぶ九頭龍川鉄橋、そして大和百貨店福井店も全壊してしまいました。
この被害は福井平野においての全壊率が60%を超える大きさです。

そして地震発生時刻が夕方でしたので多くの家庭では夕ご飯を作っている時間帯で、福井市中心部では火災が発生し水道が破損した影響で消火活動にかなりの時間がかかり火災による被害がどんどん拡大していきました。

それだけではなく中心部にある映画館では地震の影響で建物が倒壊し仕事終わりのお客さんが数百人規模で圧死・焼死をしてしまいました。
福井市の被害だけで死亡者930人、全壊家屋12270戸、半壊家屋3158戸、焼失家屋2069戸という被害を生み出し、戦後の復興に大きく影響を与えてしまったのです。

これほど大きな被害を与えてしまったのは福井市の地盤が九頭竜河の蓄積物によって弱いことで一気に建物が倒壊したのではないかと指摘されておりました。

被害の少なかった場所

そして不思議なことがありました。
大和百貨店は震災の影響で全壊しているのに、百貨店の迎えにある福井銀行は全く被害を受けていません。
これは福井銀行の建物は地下10mまで90センチ間隔で500本の杭をしっかりと打っていたのでこうした建物倒壊の被害を免れることができました。

そして農業を営んでいる方が多い地域ですが、幸い農村部は屋外で作業をしている人が多かったおかげで福井市のように建物倒壊の被害に遭遇する人が少なく死傷者が少なく済みました。

当時の福井市は1945年に福井大空襲を受け、さらに今回の福井地震という大きな災害に見舞われましたが、いずれにしろ県民と全国の人の善意により見事な復興を遂げることができたのです。
現在の福井市は震災の面影を全く感じることはできませんが、震災により一部倒壊した福井城の石垣を見ることができるので、重々しい傷を感じることができます。

GRman7uk

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